-------------庄原市キラリわが町観光推進委員会とは-------------

  • 【目的と役割】
  • 広島県が推進している「キラリわが町観光推進事業」に選定された庄原市は、地域が持つ独自の観光資源をブラッシュアップし、新しい観光ニーズや地域間競争に耐え得る観光地づくりをめざしています。「庄原市キラリわが町観光推進委員会」は、その事業目的を遂行するために設立され、中国山地やまなみ大学庄原キャンパス会議が計画した【地域の宝発掘プロジェクト「山を楽しむ(山岳連携)プログラムの開発」】事業を推進しています。
  • 【主な事業】
  • ■モニターツアーの企画・実施
  • ■体験活動プログラム作成と安全対策研修会の開催
  • ■ガイド育成視察研修会の実施
  • 【事務局】
  • 中国山地やまなみ大学庄原キャンパス会議
  • (庄原市観光協会連合会観光公社設立準備室内)
  • 〒727-0012 広島県庄原市中本町2-5-6
  • TEL&FAX 0824-72-3385

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「庄原市キラリわが町観光推進委員会」が発掘し推進する、
庄原市の魅力的な資源、比婆山神話と比婆の山々をご紹介します。

比婆山神話

比婆山(ひばのやま)は、日本の神話でイザナギ、イザナミの神がこの日本列島を生むが女神であるイザナミは火の神を生み火に焼かれてしんでしまう。そのイザナミを葬ったと記される地です。古事記には「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」と記されています。比婆山伝説は各地に点在していますがその有力候補地の一つが広島県庄原市の比婆山です。庄原市の比婆山は国定公園として有名で、その穏やかで壮麗な姿に多くの登山者や神話愛好家に親しまれています。最高峰は立烏帽子山(1299メートル)山頂の北北西方向のブナ林の中に標高1264メートルに円丘があり、伊邪那美命の御陵と伝えられる苔むした巨石が横たわっています。また、麓の六の原にはタタラ製鉄場跡があり、県史跡に指定されています。比婆道後帝釈国定公園に属し、一帯はひろしま県民の森として整備され、宿泊施設、キャンプ場、スキー場があります。

比婆山神話「古事記への路」

比婆荒神神楽・比婆斎庭神楽

山陰と山陽の接点、中国山地に位置する庄原市の比婆地域には、共に出雲から伝わったといわれている「比婆荒神神楽」「比婆斎庭神楽」が伝承されています。この2つの神楽は、本来ルーツは同じ物ながら、神職組織が大きく2つに分かれていた関係により、「比婆荒神神楽」「比婆斎庭神楽」に分かれたものです。荒神神楽は荒神社の式年に行われる大神楽で、秋から冬にかけて行われます。かつては四日四晩にわたって行われていましたが今では日を短縮して行われることが多くなっています。また、式年の間の年には二日一晩の小神楽も行われることもあります。
この荒神神楽は田の中などに高殿(こうどの)を仮設し、それを舞所としましたが、今では民家や神社の拝殿を用いることが多くなっています。祭の中心を担う当屋(頭屋)に荒神を迎え、祭りを行い、その後、高殿に移り「七座神事」「神能(大蛇退治・大社など)」をはじめ,五行舞・竜押し・神懸り託宣・荒神送・灰神楽などを行います。この地方に伝わる荒神神楽は、鎮魂(ちんこん)の要素を残しているのが特色といわれ、とくに託宣(たくせん・神がかり)の神事を伝えていることは地方色を良く残した貴重なものです。また、比婆斎庭神楽は、旧高野町と旧比和町の神職によって伝承されてきた物で、「斎庭」とは「神を招くために斎み清められた場所」という意味で、その場所に神を迎え神楽を奉納することからこの名称が付けられました。「清めの舞」と「能舞」の2種類に分けられる舞は、素朴で緩やかで古式を良くとどめ、7年または13年ごとに奉納される年番神楽と氏神社に奉納される七座神楽が盛大に行われます。舞人がすべて神職であることが大きな特色で、はやし・太鼓・笛・手拍子なども斎庭神楽の古型を伝えています。

比婆山神話「比婆荒神神楽」比婆山神話「比婆斎庭神楽」

古事記への路

■比婆山御陵
日本列島を生んだ女神「伊邪那美命」は火の神に焼かれてしんでしまいます。その「伊邪那美命」を葬ったと伝承され、古来より信仰を集めています。古事記に記された「比婆の山の御陵」。この一体は古くからタタラ製鉄が盛んに行われており、この地が古事記に登場するのも、古代の鉄生産に大きく関わっていたことがその由来と思われます。御陵は県の史跡「比婆山伝説地」に指定されています。

古事記への路「比婆山御陵」

■吾妻山
高山植物を始め、山野草や貴重な昆虫などの宝庫で、天然の芝や池、ブナの原生林があります。穏やかで、草原が広がる吾妻山の景観は古代からのタタラ製鉄や近世における放牧により現在の景観になったと言われています。晴れた日には山頂から日本海や宍道湖、大山が望めます。吾妻山の由来は、この山頂で、伊邪那岐命が比婆山に眠る妻「伊邪那美命」を「ああ吾が妻よ」と追慕したことから、名前がついたと伝承されています。

古事記への路「吾妻山」

■熊野神社
比婆山の伊邪那美命の御陵を奥院とし、その南西面参道の遥拝所にあたる場所にあります。伊邪那美命を祭神とし、社伝によると「創建不詳、和銅六年(七一三)までは比婆大神社と称し、嘉祥元年(八四八)社号を熊野神社と改称す」とあります。境内には、目通り5.6メートルもある鬱蒼とした老杉やトチノキがあり、県下の杉の巨木5本中3本は熊野神社の境内にあるなど、その歴史を物語っています。

古事記への路「熊野神社」

■天狗の休み木
熊野神社境内の県下第二位の大きさを誇る老杉で、「天狗の休み木」と呼ばれています。 天狗は比婆大神(伊邪那美命)の使いであり、夏の夜、時折この境内に天狗の使う団扇の音が聞こえるとの伝説があります。

古事記への路「天狗の休み木」

■磐境(いわさか)
磐境は、巨石に霊があると信じられていた古代の祭祀を行う場所のことで、奈良時代天平5年(733)に熊野神社の前称である比婆大神社が創建されるまで、比婆山御陵の祭儀がこの場所で行われていたと伝えられる。高さ約5m、周囲約23mで、そばの大杉の根本にある祠は、もとは大岩の上に祀られていた。

古事記への路「磐境」

■力石(ちからいし)
伝説では、須佐之男命(スサノオノミコト)が山の上から戯れに投げたといわれる岩です。縦横とも2.9メートル、高さ1メートルの巨岩で岩の上面には、須佐之男命の手の跡といわれる窪みがあり、底に溜まった水は皮膚病に霊験があるとも伝わっています。

■千引岩(ちびきいわ)
火の神の火によって焼け死んだ伊邪那美命をおって黄泉の国にやってきた伊邪那岐命は、焼け爛れた醜い姿の伊邪那美命を見て驚き、黄泉の国から逃げ帰ります。怒った伊邪那美命は、黄泉醜女(よもつしこめ)に命じて、伊邪那岐命を追わせました。さらに、8柱の雷神(ヤツイカズチノカミ)と黄泉の国の兵士達(黄泉軍)にも追わせましたが、黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本で追い払われてしまいます。追い払われた場所は「越原(追っ原=おっぱら)」と呼ばれ、現在も地名として残っています。追っ手が追い払われてしまったので、最後に伊邪那美命本人が追いかけてきたので、伊邪那岐命は千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにしました。その岩をはさんで対面して、この夫婦は別れることとになりました。この時、伊邪那美命は「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対し伊邪那岐命は「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言ったそうです。比婆山の「千引岩」がその大岩といわれています。

古事記への路「千引岩」

■伊邪那美命の隠れ穴
立烏帽子の谷間にある岩穴で「火除け穴」とも言われています。伊邪那岐命が伊邪那美命を訪ねてきたが、夜になったので自分の櫛に火を灯し、明かりとして通った所と言われています。また、伊邪那美命がここを通りかかったときに、天から火の雨が降ってきたのでこの穴に入って難を逃れたとも言われています。さらに、火の神を生んだ伊邪那美命がこの穴で亡くなったとの説も残っています。

■伝説上の地名

「越原(追っ原=おっぱら)」
伊邪那美命が黄泉醜女(よもつしこめ)に命じて、伊邪那岐命を追わせ、さらに、8柱の雷神(ヤツイカズチノカミ)と黄泉の国の兵士達(黄泉軍)にも追わせたが、黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつ ひらさか)の坂本で追い払われてしまいます。追い払われた場所は、現在「越原(おっぱら)」と呼ばれ、地名として残っています。 「別所(べっそ)」古事記に登場する国産みの女神「伊邪那美命」は、「月のさわり(月経)のとき、夫である伊邪那岐命と別れて、ここで生活したと伝えられています。

「田鋤(たすき)」
伊邪那岐命は黄泉の国から追いかけてきた八注の雷神たちに、この地にあった桃の実を投げて追い払いました。そのとき、桃に向かって「今、私を助けてくれたように、人々が困っている時に助けてやってくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と名づけたと言う神話にちなみ、「助け」が転じて「田鋤」と言う地名になったと言われています。

「別路(わかりょうじ)」
伊邪那美命が月のさわりの折、仮住まいの場所である別所へ向かう途中、送ってきた伊邪那岐命とまた会う日までの別れを惜しんだ場所との言い伝えが、この地名になったと言われています。

「不寒原(ひえんばら=へんばら)」
比婆は雪が多く寒い地方であるため、伊邪那美命はその寒い冬の間、比較的暖かいこの地に宮を造り、避寒の地にしたと伝わっています。

比婆の山々

■比婆山(標高1264メートル)
比婆道後帝釈国定公園に属し、比婆連山の最高峰の立烏帽子山山頂の北北西方向ピーク(1264m)に円丘があり、ブナ林の中の巨石が伊邪那美命の御陵と伝えられています。また、麓の六の原にはタタラ製鉄場跡があり、県史跡に指定されています。 一帯は広島県民の森として整備され、宿泊施設、キャンプ場、スキー場などがあります。

比婆山

■吾妻山(標高1238.8メートル)
比婆山の西に位置する独立峰。高山性の植物が多く、全体になだらかである。火山性の玄武岩の流出が緩斜面を覆い、取り残されて台地を形成した典型的なメサ(テーブル状)で、比婆山系共通の地形を示しています。また、タタラ製鉄の木炭用材伐採のために草地が生まれ、近年まで放牧が行われていました。高原性の気候で、初心者でも気軽にハイキングやトレッキングが楽しめます。

吾妻山

■立烏帽子山(標高1299メートル)
比婆山系の最高峰。山を覆うブナ林は、日本海型と太平洋型の要素を兼ね備えた大変貴重もので、国の天然記念物に指定されています。

烏帽子山

■竜王山(標高1255メートル)
比婆山系をなす山の一つです。熊野神社から上ると最初の山となります。頂上は360度眺望できるススキに覆われた草原で比婆山系の特徴ある穏やかな草原が印象的です。池丿段、立烏帽子、吾妻山、猿政山、福田頭、猫山、道後山よく晴れた日には大山が見渡せる眺望満点のトレッキングに最適の山です。

竜王山

古事記への路」語り部

「古事記への路」には、数名の語り部がいます。山登り、ハイキングやトレッキングのベテランが比婆神話や古事記の神話、地域の伝説などを学び、分かりやすく比婆に伝わる神話を語ってくれます。

●お問合せは:庄原市観光協会連合会 電話:0824-72-3385

比婆山神話「ガイド」

アクセスマップ

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※庄原市のホームページにリンクしています。

比婆山神話登山道

比婆山神話「古事記への路登山道」

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TEL:0824ー72−3385
FAX:0824−72−3385

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